いつまでもいつまでも
この瞬間が彼女の心に深く刻まれることを願う





朽ちることなく光り輝くもの





「お前の好きな曲を弾いてやる」


俺はそう言ってルナマリアの手を引いた
今日はホワイトデーだ
バレンタインにチョコレートを貰っている俺はその礼として彼女の好きな曲を弾くことにした
本当はアクセサリーの一つでも贈ろうかなどとも思ったが、仰々し過ぎると思い止めにした
それにそんなものを贈ってしまったら俺が彼女のためにピアノを弾く理由がなくなってしまう


たまに人に頼まれて弾いたりすると音楽の才能があるなどと言われるが、自分ではピアノの腕は上手でもなく下手でもない当たり障りのない程度のものだと思っている
度々聞くその褒め言葉は社交辞令である可能性は大いにあるのだが、人から演奏を頼まれるという時点でそこまでひどい腕でもないと思うのでチョコレートの礼くらいには何とかなるだろうと考えた

世間一般の目で見て俺の演奏が上手なのか下手なのか、正直それはどうでもよかった
ただ単に彼女に俺のピアノを聴いてもらいたかっただけだ
こんな事でもない限り俺の願いはなかなか叶いそうにない
だからホワイトデーというものを利用することにしたのだ


俺とルナマリアはピアノが設置されている部屋へと並んで歩き、程なくして目的の場所に着いた

「着いたぞ、この部屋だ」
扉を開き部屋に彼女を招き入れる

接客用として使われている部屋なのか室内の造りは豪華で広々としていた
しつらえられた調度品なども高級な品ばかりだ
その広い室内に見事なグランドピアノが置かれている
ほとんど使われていないと思われるそのピアノだが、誰かが定期的に手入れをしているらしく格調高いその黒色は綺麗な光沢を放っていた

軍施設であるにもかかわらずピアノなどが置いてあるのは議長をはじめ上流の人間がそれなりに出入りするからなのだろう
使われずに置いてあるだけのそれは楽器というよりも上品な雰囲気を醸し出す装飾品としての役割は十分過ぎるほど果たしていた


「うっわ〜、こんなトコロにピアノなんてあったんだ」
ルナマリアが驚いたようなはしゃいだような声をあげる
「まあな、だがほとんど使われてないから知らなくて当然だろうな」
「それにしてもレイがピアノ弾くなんてちょっと驚き。何で弾けること教えてくれなかったのよ?」
「敢えて言う事でもないだろう」
「そりゃそうかもしれないけどさ〜…」
そう言って彼女は上目遣い気味に恨めしそうな視線を寄越す

「何の曲にするんだ?」
「楽譜ないけど弾けるの…?」
「それなりに名の通った曲なら楽譜の内容を記憶しているから平気だ」
「へぇ〜、さっすがレイね」

俺はピアノの上蓋を持ち上げ固定し、椅子を引いて腰を掛けた
鍵盤の蓋を開け軽く指を滑らせ、慣らしをする
澄んだ音が軽やかに室内に響く
外観の手入れだけでなく調律などもきちんと行われていたらしく、ピアノの音色は素晴らしかった

「うわ〜、レイってばイヤミなほどサマになってるわね、非の打ち所がないってくらい絵になってるわよ」
そう言いながらルナマリアが俺の髪に触れてくる
「この髪もレイが動くたびにサラサラ揺れて綺麗過ぎるったらありゃしない」
何だか不服そうな口調だ
「それは褒めているのか、貶しているのかどっちなんだ?」
「どっちでもないわ、あんまり綺麗だから女としてちょっと妬けただけ」
「綺麗…か。俺はお前のがよっぽど綺麗だと思うが?」

「な…っ!?」

ルナマリアの顔を見ると頬を紅潮させ口をぱくぱくとさせている
「よ、よくそんな恥ずかしいこと真顔で言えるわ…ね」
「お前だって俺に綺麗だと言っただろ?」
「それとこれとはぜんっぜん違うわよ!女が男に綺麗だって言うのと、男が女に綺麗だって言うのは全然違うの〜!」
「そういうものなのか?」
「そーゆーもんなのっ!もう、レイといると恥ずかしくって心臓もたないわよ」
そう言った彼女は本当に照れた様子だった


「ところで何の曲にするかは決まったか?」
「う〜ん…じゃあね、ノクターン…がいいかな」
静かな旋律がとても美しい曲
曲自体の難易度は高くないし何度か弾いた経験もあるからこの曲だったら問題ない
「ノクターンか…、お前にしては静かな曲を選んだな」
「せっかくレイが弾いてくれるっていうんだからじっくり大切に聴ける曲がよかったの。それにノクターンってゆったりしてて音が抱きしめてくれるかんじがするから好きなのよね」

「………」
綺麗と言われても何とも思わなかったが、彼女の言ったその言葉には色んな意味で若干の恥ずかしさを覚えた
先程彼女に言われた言葉をそのまま返したい心境だ
お前の方こそよくそんな恥ずかしい事を言えるな…と


「ここで聴いてていい?」
彼女の言う”ここ”というのは俺のすぐ右隣のことだ
お互いの身体が触れるか触れないかの至近距離、椅子の背に腕を乗せ俺の方を覗き込み尋ねてくる
「座らなくていいのか?」
「うん、ここがいい」
「…そうか」


―――ポーン…
俺は鍵盤に両手を落とし指を滑らせ彼女の希望したノクターンの旋律を奏で始めた
静かなその音色が響き渡り、辺りの空気を穏やかな色に染め上げていく

演奏中、ルナマリアはずっと目を瞑ったまま静かに聴き入っていた
その表情はいつものそれよりもずっと柔らかくて穏やかで、そして美しかった


陳腐な言葉だけど「永遠にこの時が続けばいい」そんなことを思った
だが現実は指令が下されれば俺も彼女もすぐにでも戦場に赴いて闘わなければならない身
誇張などではなくお互いにいつ命を落としてもおかしくない状態だ

形あるものは全て壊れゆく
けれど記憶や想いは壊れはしない
忘れない限り色褪せることなくそこに在り続ける
少なくとも俺は今この瞬間の事を忘れはしない

俺は彼女に自分という存在の証を刻みたかったのだ
俺がもし居なくなっても少しでも彼女の中に居られるように
そして俺の中にも深く深く彼女を刻みつけておきたかった
いつまでも俺の中に彼女を感じられるように
だからルナマリアの為だけにピアノを弾きたかったし彼女にも聴いて欲しかった



演奏が終わった後に彼女が笑顔と共にくれた言葉を俺は一生忘れることはない





「レイの音、心に大切にしまっておくね」








皆沢タカコ

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